安国寺肩衝・異聞☆ | げむおた街道をゆく

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一つの肩衝と呼ばれる茶入を、安国寺長老(恵瓊)が甚だ珍重していたのだが、
これを榊原康政が甚だ賞美して、

「宝貨に替えん。」

と思っていたが、安国寺は全く承知しなかった。

しかしながら上杉征伐として大神君(徳川家康)が宇都宮まで御動座あった頃、

上方にて石田(三成)の反逆の事が起こり、奥に上杉、

後ろに上方の蜂起と、諸軍も驚き、君にも御心痛有ったが、

ここで康政が満座の中、御前に出て、

「上方蜂起、さてさて恐悦です。」

と、殊の外喜ぶ様子で語った。

「いかなれば康政はかく申すぞ。」

家康が尋ねると、

「上杉は旧家と雖も思慮が過ぎ、その上急速に御跡を付けるような事は無いでしょうから、

聊かの押さえの兵を難所に残して置かれれば、決してお気遣いされることはありません。

また上方は烏合の集まり勢ですから、何万騎有ったとしても恐るるに足りません。

この康政が一陣に進めば、一戦に打ち崩すでしょう。

そして後、勝利の上は、安国寺も石田の余党ですから、御成敗されるでしょうから、

その時に彼の肩衝を、この康政の軍賞として頂きたい。」

そう申し上げると御心良くお笑いあそばされ、

さらに諸士、諸軍とも勢いいや増しに強くなったという。

関ヶ原の勝利後、願っていたものを御約束通りに、かの肩衝は康政に下され、

彼は秘蔵していたのだが、
台廟(台徳院:徳川秀忠)の御代、この肩衝を頻りにお好みになされ、

康政に献上するよう命じたものの、

「これは軍功の賞として賜った重宝です、この義は御免を相願う。」

と従わなかったため、秀忠も思し召しに任せること出来なかった。

ある時、康政が、細川三斎(忠興)を正客として茶事があったとき、

康政が水こぼしを取りに茶室を出た時、
三斎はこの肩衝を奪い、馬を乗り跳ばして御城へ出、上へ差し上げた。

康政の所では未だ客も帰らない内に、上使が現れ、
『この茶入は兼ねて御懇望のところ、康政が差し上げないのも尤もな事であったので。

今回三斎に仰せ付けられ奪わせたのだ。』

とのよしを仰せ付けられ、康政には黄金何百枚かを下されたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ ”無”の字の旗指物、榊原康政

 

 

 

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