徳川四天王の榊原康政と井伊直政の関係は、初めは良好なものでは無かった。
武田家の遺臣が康政よりも13歳も年下で、
まだ元服を終えたばかりの直政の付属部隊になった時は、
「若造のくせに。こうなったら万千代と刺し違えてくれるわ。」
と言い放ち、徳川四天王の長者である酒井忠次に叱責される有り様であった。
家康の為に心血を注いで働く直政を見るにつけ、康政も己を恥じて認めるようにる。
後に康政と直政は深い信頼関係で結ばれた間柄となった。
直政が先陣すると康政は安心し、康政が従軍するとあれば直政が安堵した。
「俺が直政より先立てば必ず直政は病気になり、
直政が先立てば俺もすぐに死んでしまうだろう。
そして家康様のお心を知るのは、俺と直政だけだ。」
康政は常々語っていたという。
関ヶ原合戦明け、本多忠勝を交えた徳川三傑の飲み会が開かれた。
その席で関ヶ原本戦に間に合わなくて、
凹んでいた康政を真摯に励ます直政の姿があった。
関ヶ原から1年半後に直政が没すると、
井伊家の行く末に康政が心を砕き何くれとなく世話を焼いている。
そして直政の死から4年後、康政もその生を静かに閉じた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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