豊臣秀吉の死後、政権奪取をもくろむ徳川家康と、
豊臣家臣の石田三成の対立が激化する中、
関東地方から上洛の途上だった榊原康政は、
伏見城下にいた家康を、三成が襲撃を計画している事を知り、
昼夜を問わない行軍で、近江国瀬田までたどり着いた。
そこで家康が、まだ無事である事を知ると、
関所を設けて、3日間、京への通行を禁じた。
その理由は、足止めされた旅人と共に進軍し、敵に大軍だと思わせる事が目的だった。
さらに、京に入った康政は、蔵から多額の資金を取り出して、兵達に、
「徳川軍6万人分の兵糧が必要だ。」
と言いふらしながら、京周辺の商店の食料を買い占める様に指示した。
結果、市中には、
「徳川軍は、数十万の軍勢で上洛している。」
という噂が流れ、三成は襲撃を中止した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!