山岸主税介と恩義☆ | げむおた街道をゆく

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小田原の役の時の事である。

榊原康政は、その家臣・伊藤顔助の部隊を大磯の切通しに置き、

小田原に出入りの者を防いでいた。
 

ある時、下総の住人・山岸主税介が、小田原に入るためここを通り抜けようとしたが、
この部隊に補足され、強く抵抗したものの、終に生捕りにされた。

この山岸は家康の元より秀吉に使わされ、その尋問を受けたが、

その後、再び徳川に返された。

家康はこの山岸に、

「お前の命は助ける。今後はわしの味方に属せよ。」

と、声をかけた。

が、山岸はこれに、

「自分は北条氏に恩があり、どうしても小田原城に入りたいのです!」
もはや北条の敗北は、誰の目にも明らかであった。

だが山岸はこの期に及んでもなお、
小田原に味方したいのだ、と言う。

家康はこれに、

「お主一人くらいが新たに籠城しても、もはや何ほどの事も無いぞ?」

と言ったが、それを許し、山岸を解放した。

こうして小田原城に入った山岸であったが、

山岸が体の数ヶ所に傷を負っている事を、
城中の者たちが不信だと言い出し、

「山岸は敵にたぶらかされたのだ。」

と、終に彼を捕え、牢に入れてしまった。

さて、北条氏が降伏すると、小田原城は榊原康政らが、受け取りに入った。
確認の為、伊藤顔助が城内を見回っていると、牢でかつて生捕った山岸に、

ばったりと出くわした。
 

伊藤はすぐに、主君・康政に報告をし、これを聞いた康政は、

彼をすぐに牢から出し、二百石を与え家臣とした。

後に山岸の武勇を知った結城秀康が、彼を千石を持って招こうとしたが、
榊原家が彼を牢から出しただけではなく、取り立ててくれた事を恩に感じていたため、
これを受けず、さらには榊原家からの加増も受け付けず、

一生を小知のまま仕えたとのことである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ ”無”の字の旗指物、榊原康政

 

 

 

ごきげんよう!