堀川城攻め☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

永禄十一年(1568年)三月。

 

徳川家は、遠州の城々を攻め取らんと、尾藤彦四郎らが籠る堀川の城を攻めた。

先陣は、松平信一、榊原康政が務める。

康政は、配下に向かい、

「私は、若年でありながら、このような寵任を蒙り、一隊の主将となった。

その上、御諱の字さえ賜り、御恩の深高なること、山海にも比し難い。

明日の戦は、かならず一番乗りを遂げて、盛意に報いるぞ!」
と宣言した。

その日、康政は、早朝より紺地に無の字の指物をさし、

笹切という鎌槍を掲げて、一番に城へ攻め入り、

散々戦って二ヶ所の深手を負った。
そこで家人らが康政を肩に負って、なおも進み、遂に城を乗っ取った。

その後、康政の傷を見た徳川家康は、

「この深手では、もう助からない。」

と思い、康政に、

「後事に思うことあらば、つつまず申せ。」

と言った。

 

康政は、畏まって、
「この度、配下の伊奈、中島の両人の忠戦は、衆人よりも勝れておりました。
ですから両人に御恩賞をお与えください。

この外に思い残すことはありません。」
と申した。

 

家康は、すぐに二人を召し出して感状を授けた。

ところが後に、康政は思いもよらず回復を遂げたので、

家康は、大層喜んで、様々な慰労の言葉をかけたのだという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ ”無”の字の旗指物、榊原康政

 

 

 

ごきげんよう!