慶長五年の秋、東西で一時に戦が起こった。
本多忠勝は仰せを蒙って井伊直政と共に、
味方の大名を連れだって美濃の国に行軍し、
九月十五日の合戦に諸軍を指揮して戦わせ、
自分自身も島津を打ち破る。(この日、忠勝は、首九十余りを得たという。)
戦が終わった後、福島左衛門大夫正則が、徳川殿の御陣へ参り、
「さても今日、忠勝が、味方の多勢を指揮して戦う様は、
左右の手をつかうよりもなおたやすく見えました。
あっぱれ、よき大将軍でというものですな。」
と感じ入った。
忠勝は嘲笑って、
「敵が妨げにならないほど弱くて、戦いとはなりませんでした。」
とあいさつした。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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