関ヶ原の戦いの少し前、犬伏で父や弟と別れた真田信幸は、
小山に駆けつけ、舅・本多忠勝と同宿した。
夜になって、同じ信濃出身の保科正光が密かに訪ねて来て、信幸に耳打ちした。
「お主、なぜここに来られた?
徳川は譜代が多い、外様がこの先どう扱われるか、良くお考えあれ。
かく言うわしも、真田より先に徳川についた身ながら、
この戦に勝っても、遠い磐城へ移封されるらしい。
わしの今の失意、お主ならお分かりだろう?
もう一度考え直されよ!」
信幸は答えた。
「私は既に決めたのです。もう言わないで下され。」
説得を断念した保科が去ると、入れ違いに忠勝がやって来た。
「今、黒い鎧の武者が出て行ったようだが、誰か来ておられたのかな?」
信幸が動揺を隠して黙っていると、忠勝が言った。
「フン、あの鎧は保科であろう。おおかた、「所領に帰れ」とでも説きに来たか。」
驚く信幸に、忠勝は続けた。
「なァに、あの帰り方では、あやつは逆にムコ殿の腹でも探りに来たのだろう。
何も心配する事はない。」
忠勝の言葉通り、戦後に信幸改め信之は、父・昌幸追放後の上田領を相続できたし、
保科は本領・高遠を安堵された。
「このように、舅どのは戦の機微に練達するばかりでなく、洞察力も神の如しであった。」
後々まで信之は語ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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