天正18年(1590)2月、大阪城に諸大名が集まった時、秀吉は家康に聞いた。
「今回は、本多平八郎は連れて来ておられるのかな?」
「はい、連れておりますが…?」
本多忠勝が、秀吉の前に召しだされた。
秀吉はさらに、立花宗茂を召しだして言った。
「宗茂よ、この者が東国最強の本多忠勝である。
おぬしは西国無双の評判が高い。
東西において無双の者共なれば、わが前にて対面を許す。
今後は力を合わせ、宗茂は西国を守護してますます忠義を尽くし、
忠勝は家康を助け、
東国を安んじよ!」
前田利家、毛利輝元など居並ぶ諸大名も、天晴れ武士の面目よ、と感じ入った。
その夜、宗茂の宿舎を訪れる者がいた。本多忠勝であった。
「このたび、関白の御前で天下に面目を施せたのは、
ひとえに貴殿の功によるものです。
深く御礼申し上げる。」
と、素直にみずからの喜びを伝える忠勝に、宗茂も答えた。
「何を言われる!? 貴殿こそ武勇の誉れ高き老巧の人。
さあさあ、上がってこの若造の後学のために、語って下され!」
忠勝もこれを辞退するに忍びず、静かに東国での戦場往来の思い出を語った。
「いや、聞きしに勝る武者かな!」
宗茂は大いに喜び、忠勝を厚く饗応して帰したという、勇者は勇者を知る話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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