本多忠勝の嫡子・美濃守忠政が、まだ平八郎と名乗っていた時、
弟の内記忠朝と共に、鑓の稽古をしていた所、
これを見た忠勝が言った。
「私が若かった頃は小身であったがために、鑓の働き第一と心がけていた。
しかし今は御厚恩を以て大身となった以上、
人数を取り廻す采配の取り様や備立てなど、
総じて大将が知らなくてはならない道こそ、
専一に学ぶべきである。
かといって、鑓の稽古を止めろと言っているんのではない。
時節相応に主とする所を、
専らに励むべきなのだ。」
そう戒めたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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