天正の初めの頃、甲斐武田家の部将・山県昌景が、
大軍を以て、天龍川近くに進行してきた時、
この方面の徳川軍は、少数であったので、天龍川を越えて退却した。
この時、本多平八郎忠勝が、殿をし、ただ一騎、後から川に乗り入れ退却していた。
しかしここに、後ろより山県勢の先鋒百騎ばかりが追撃してきた。
忠勝は、これを確認すると同時に、河中より取って返し、これを攻撃した。
その勢い、まるで龍神が、波を蹴り立てるような激しさであったという。
これに甲州兵たちは、
「すわ、例の本多よ! 平八郎よ!」
と叫び、尽く逃げ去った。
追う者がいなくなったので、
忠勝は、また河に入り、心静かに向こう岸へと渡った。
河の中流から引き返すというのは、成し難いことだと言われている。
それを安々と行った本多忠勝の働きというのは、筆舌の及ぶところではない。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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