寛永9年(1632)、相国様(徳川秀忠)、53歳の時のことである。
秀忠公は前年よりの病気が次第に重くなり、
正月も半ばには、もはや長くないと思われる様態となった。
この時、秀忠公は、伊達政宗様を呼び出され、こう申し出された。
「去年のうちから病状が悪化してな、こうしてもう、回復は無理のようだ。
私が、少しでも意識がはっきりしている間に、
あなたに言っておきたい事がある。
昔から今に至るまで、あなたの志は一つとして忘れたことがない。
先ず、もう随分昔の話だな、大御所様(家康)が駿河でご病気が重くなった時だ。
あの時、悪しき者達の申し立てで、
あなたがこの機に乗じて謀反をするとの風聞があった。
そのために私も、大御所様のご病気にもかかわらず、
奥州の状況を警戒していたのだ。
ところがそんな状況の中あなたは駿河へと上がられ、江尻に逗留されたが、
ここで大御所様は周りにいた大小名を皆下がらせ、
あなた一人を内々に駿河の御殿に呼ばれ、
互いに御存念を語り合い、その上で私の事をあなたにお頼みなされた。
『どうか秀忠を、天下の主として取り立ててほしい。』
大御所様のこのお言葉を、あなたは違えること無く、
おかげで私は今日に至るまで、天下に騒動は、
一度も起こることなく治めることが出来た。
その天下を私は将軍(家光)に譲る。
これは大御所様があたなに、私のことをお頼みなされたのと、全く同じ事だが、
今また、将軍のことをあなたにお頼み申す。
将軍はまだ若い。なので万事あなたを、親と思えと言っている。
将軍に古きことを聞かせ、また差し出たことなどと遠慮せずに、
見苦しいことがあれば異見をし、天下を安寧に保たせてほしい。
どうか、お頼み申す。
そして、あなたも随分年を取られた。
あなたのめでたき跡は、ご子息の越前守(忠宗)については、
逆に将軍にその処遇をお預けになられよ。
決して粗略にすることはない。
…私が、この53の歳になるまで天下の安寧を保てたのは、
偏にあなたのおかげだよ。」
この時、秀忠公、政宗様は互いに涙を落とされたそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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