江戸時代、幕府では6月16日に行われる、「嘉祥」という行事があった。
これは将軍から大名旗本に対し、お菓子を下賜するという行事で、
幕府では毎年この日、2万個を超える各種お菓子を、用意したのだという。
この行事は、日本の和菓子の発展に多大な影響を与えたとも言われる。
この「嘉祥」、三方ヶ原の「敗戦」を忘れぬよう記念したものとも、
あるいは菓子を献上されて戦に大勝したことを、記念したものだとも、
由来は色々言われているが、ともかく始まりは、
家康が家臣に、手ずから菓子を与えるというものであった。
しかし徳川家の規模が大きくなるにつけその数は増えていく。
天下を取った後は先に書いたように2万個を超えるわけで、
とてもではないが全部手渡しというわけには行かず、
そのうちに将軍が手ずから与えるのは最初の何人かだけで、
あとは出仕した大名旗本が自分で取っていく、という形になっていった。
が、そんな中、すべての菓子を自分の手で与えていた将軍が一人あった。
徳川秀忠である。
彼は元来の生真面目な性格ゆえか、この行事もきっちりと、
最初から最後まで菓子を手渡ししていたそうだ。
そのためこれが終わると、彼は数日間、肩や腕に痛みに悩まされた、と記録されている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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