秀忠公が、御能を仰せ付けられ、
大名旗本の面々も見物するが良いとの上意により、各々が登城した。
御能の二番過ぎ清水という狂言の半ばで、
にわかに大地震が起こり揺れ出したので、
見物の面々は互いに顔を見合わせていた所、
まだ揺れが止まらない為、
思わず一人二人が御庭へと下り、
終いには伺候の面々のうち過半数が座敷から飛び出した。
秀忠公はまったく御騒ぎになる御様子もなく、
扇をつかいながら人々が仰天する様をご覧になられていた。
その頃、家光公はまだ竹千代君といい御年十二。
駿河殿は国千代君と言い御年十であった。
二人は秀忠公の右の御座敷脇に屏風を隔てて座っていたが、
あまりにも地震が強かったので、
竹千代君を青山伯耆守が抱きかかえ、
国千代君を御側衆が抱き御庭へと移った。
その時、竹千代君は、
「上様は来られておるのか。」
と尋ねた。
伯耆守が、
「存じませぬ。」
と申し上げると、
「上様が来られておらぬのに、なぜ連れ出した。」
と御手にて伯耆守を叩かれ、各々はこれに感じ入ったと言う。
秀忠公は普段から、
「侍には三つの心得ておくべき事がある。
第一に狂人闘諍、第二に地震雷鳴、第三に火事。
これら三つは不意に起こる事であるから、
その時に、どうするべきか普段から考えておけば、仰天する事も無いものだ。」
と仰せられていた。
さればこそ、この地震の時にも膝を直されることも無く、
顔色も普段通りだったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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