徳川秀忠は、江戸へ大名が参勤してきたとの注進を聞くと、
必ず品川、千住口、それぞれの筋道に遣いを送った。
これらは皆、重臣たちの役割で、
大名より下の位の者には、段々に軽い役人を上使としていた。
特に越前黄門秀康が江戸に参向してきた知らせを聞くと、
必ず即座に自身で迎えに出て、
同道して江戸城に入った。
総じて将軍家においては、諸家が重んじている諸侯参勤については、
いつごろ江戸に入ると聞かれると、
自然を装って鷹狩に出かけられ、その道筋であり江戸に近い千住、品川あたりで待ち、
その場で大名に、直に参勤を労り、それは作法の一つのように考えられていたが、
いつの頃からか、それぞれの家まで上使が向かうようになった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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