元和二年(1616年)、徳川家康、没する。
これにより名実ともに、将軍・徳川秀忠の治世が始まる。
翌元和三年六月、秀忠は朝廷への挨拶のため、上洛した。
この時、秀忠は、仙洞御所の後陽成上皇から、お召しがあった。
上皇は語った。
「家康は一生を戦国の中に過ごしたため、その行いの中には、王道に背く事もあった。
そしてそなたは治国の将軍となった。
今の世の、殺伐とした気風を鎮め、仁政を施すのなら、
子孫も栄え、朝家も守護されるであろう。
過ちを改めるものには、天下の人々はそれを仰ぎ見る。
怠けたる心があれば、天運もまた心もとなくなる。
…今、将軍であるそなたに、汝の父のように異見する者は、
朕の他にはもうおらぬであろう。
よってこの事、あえて話した。
どうか、心に留め置いてほしい。」
秀忠は、それを畏まって聞いていたと言う。
信長、秀吉、家康の、三つの天下を見てきた上皇からの、
新しい治世への、はなむけの言葉であった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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