元和二年(1616年)の正月、相国様(徳川家康)は、
田中にて御鷹野を行われていた所、俄に御患われ、
次第次第に重くなり、卯月十七日に御遠行となった。
御遺言については誰知りたる者は無いが、
人々が申しているところによると、
相国様は、
「我虚しく成った時は、日本国の諸大名を三年は国へ帰さずして、江戸に詰めさせるように。」
と仰せに成った。
この時、大将軍(徳川秀忠)のお答えは、
「私は御遺言について、一つとして違背することはありません。
ですがこの事についてはお許しください。
私としては、もし父上が御遠行成なされた時は、
それより日本の諸大名を全て国へ帰し、敵対を成すならば、
その国にて敵をさせ、我らが押しかけて一合戦して踏み潰します。
どうあっても、天下は一陣せずしては治まらないのですから。」
その時、相国様は手を合わせて、将軍様を拝まれた。
「その事を聞きたくて、あえて申したのだ。さては天下は鎮まりたり。」
そう喜ばれ、そのまま御遠行なされたのだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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