慶長六年(1601年)元旦、
内府公(家康)の体調が悪く、大坂の城への参賀はなかったが、
同月十五日に快復されたので、列侯は悉く登城し、新年の慶賀を申し上げられた。
二月三日、秀忠公は、池田輝政の屋敷に御茶会に訪れられた。
先月十八日に、内府公から飛騨肩衝の茶入を輝政が拝領したからであるという。
このおもてなしの次第は、以前とは違い、
将軍の御成の作法と大して変わらないようなもので、
関ヶ原御勝利以後、外様大名の屋敷を訪問するのは初めてであった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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