徳川秀忠は関ヶ原合戦の時、真田安房守(昌幸)に防がれ、
合戦の終わった後に美濃に到着したことに、徳川家康は不快に思い、
「持病の寸白を発した。」
と言って、対面を許さなかった。
秀忠は、
「さては着陣が遅くなった為、故意に会おうとされないのだ。」
そう推量し困惑し、
幕の外に出たあと少しく落涙した。
この時、秀忠に従っていた榊原康政、大久保忠隣、本多正信、酒井備後守忠利を、
はじめとした御家人たちを一人も召さず、下陣すると言い出した。
井伊兵部少輔直政は、秀忠に仰せ言を述べて後に、榊原らに対し荒々と言い放った。
「中納言様(秀忠)が遅く上らせ給い、大軍が合戦に間に合わなかったのは、
各々の不覚である!」
しかしこの発言に対し彼らは、家康の機嫌を憚り返答するもの一人もなく、
それぞれ退出した所、酒井忠利は御前であっても所存を臆すること無く言う人であり、
兵部少輔の言葉を聞いてこう思った。
『秀忠公の御舎弟、下野守殿(松平忠吉)は井伊の婿であるため、
今度の合戦に後見して鮮やかな戦功があったと聞く。
このため、直政はむやみに秀忠公の遅参を言い立て、
忠吉様の御手柄を吹聴しているのではないか?』
そして一人その座に居残り、直政に言った。
「兵部殿の先の言葉は心得がたい!
何故ならば、中納言様が遅参したのは正当な理由ある事であり、
内府公(家康)が機嫌を悪くされるような話ではない!
それなのに、若き殿の憤りを憚らず、
粗忽のことを申されるのは、いかなる心中に候や!?」
井伊直政は、これに冷笑した。
「言っても返らぬ事だが、天下の人の口にそう懸かってしまう、その口惜しさに申すのだ。」
忠利は屈せず、
「例え、本当に誤りがあって内府公の御機嫌よろしからずという場合であっても、
格別の時期であるから、
御父子の対面があるように、貴殿こそ申し直すべきなのに、
その計らいが無いだけでなく、今更無益の批判を言うとは何なのか!?
この上も我らと争い、中納言様の御事を悪しく申すのなら、兵部少輔、覚悟せよ!」
そう言いざまに直政に向かって進み寄る所を、側にあった諸士が慌ててこれを止めた。
井伊直政が申す所は、秀忠の身にとって、心良からぬ事であった。
並の気質であれば、直政は、秀忠の不審を被ったであろう。
しかし秀忠は露ばかりも彼を悪む様子がなく、却って、
彼が死去した時には、深く惜しんでいたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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