松永霜台(久秀)が、織田信長に反逆し籠城した時、
信長は討ち手に羽柴秀吉を遣わした。
秀吉は信長に報告する箇条書を右筆に書かせた。曰く。
『この日に城の外側を破ります。
この日には二の丸を破ります。
この日には本丸を破り、
この日には霜台の頸を取ります。』
右筆は、
「これはどういうことでしょうか?」
と尋ねると、
秀吉はこう答えた。
「こうしなければ、信長は私を生かさないだろう。
もしこの通りにならなければ死ぬしか無い。」
そして、報告した期日に無理に撃ち破り、
秀吉は報告とともに久秀の頸を函に入れて信長へと送った。
信長は届いたその函を見るとこのように言った。
「これは偽首であろう。霜台はたとえ首になったとしても、
私の前に来るような者ではない。
筑前(秀吉)は才気でこんな事をしたのだ。」
函を開いてみると、果たして信長の言ったとおりであった。
久秀は終に降伏することなく、鉄砲の薬に火をかけ、自ら焚死したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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