或る本に、細川忠興の父は兵部少輔藤孝と云う。
剃髪して幽斎と称し、従二位法印に叙任された。
彼は(足利)尊氏将軍十二代の後胤・義晴公の四男であった。
母は環翠軒宣賢(清原宣賢)の息女であり、飯川妙佐の妹であった。
義晴公が東山鹿ヶ谷に移住された時に、清原宣賢の娘が寵愛され、
程なく懐妊して男児を産んだ。
義晴公の嫡男は義輝公、二男は北山鹿苑院の周暠という。
三男は南都一乗院の御門主覚慶。
四男が即ち藤孝であるが、彼の母が藤孝を連れて、三淵伊賀守に嫁いだ。
後年、藤孝は細川右馬頭元常の養子となった。
また現在、細川氏を長岡氏と言うのは、
昔日藤孝が、京都勝竜寺での合戦に戦功があり、
故に織田信長公より、その息・忠興へ、別に長岡の荘を所領として、
拝領したことに依るのだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!