藤孝の出生などについて☆ | げむおた街道をゆく

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或る本に、細川忠興の父は兵部少輔藤孝と云う。

剃髪して幽斎と称し、従二位法印に叙任された。
彼は(足利)尊氏将軍十二代の後胤・義晴公の四男であった。

母は環翠軒宣賢(清原宣賢)の息女であり、飯川妙佐の妹であった。

義晴公が東山鹿ヶ谷に移住された時に、清原宣賢の娘が寵愛され、

程なく懐妊して男児を産んだ。
義晴公の嫡男は義輝公、二男は北山鹿苑院の周暠という。

三男は南都一乗院の御門主覚慶。

四男が即ち藤孝であるが、彼の母が藤孝を連れて、三淵伊賀守に嫁いだ。

後年、藤孝は細川右馬頭元常の養子となった。

また現在、細川氏を長岡氏と言うのは、

昔日藤孝が、京都勝竜寺での合戦に戦功があり、

故に織田信長公より、その息・忠興へ、別に長岡の荘を所領として、
拝領したことに依るのだという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 当代一流の文化人、細川藤孝

 

 

 

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