天正9年に、細川藤孝、忠興親子が、丹後に入国した時のこと。
与謝郡大島の城主・千賀兵太夫、日置むこ山の城主・日置弾正という者達が、
両人語らい、細川入部の迎えとして普申峠の麓まで、互いに騎馬で連れ立った。
ところが、日置弾正は隠れなき美男であり、
衣装・馬鞍に至るまで美麗な出で立ちであったのだが、
千賀兵太夫はもとより貧乏であり、しかも醜悪な容貌で装束も異風であり、
衣装から馬具に至るまで、見苦しいものであった。
そのため日置弾正は、千賀兵太夫に戯言を言った。
「初めて細川殿にお会いするというのに、
そのような見苦しい装束があるものか!
一度戻って、その肩衣を着替え給えよ。」
この言葉に千賀兵太夫は大いに腹を立て口論し、
終には喧嘩になり両人はたちまちの内に、相打ちとなった。
家来たちも互いに斬り合って、双方の死者は7,8人に及んだとのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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