荒木村重反逆の回想☆ | げむおた街道をゆく

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天正6年からの荒木村重の反逆の際のことです。
彼の日頃の言動からこれは危ないと、かねがね総見院様には申し上げてたのです。
それを村重のやつめは、藤孝が讒言したとかなんとか、

逆恨みの被害妄想というものです。

有岡での包囲戦が手詰まり、長期化した中で、私めにも出陣の御命が下ったのでした。
というのも少し前、織田信忠様の部隊が夜襲を受け、

散々蹴散らされたことも、味方の士気を大いに損なっておりましたし、

総見院様もお怒りでした。

雨の中、長路丹波から細川の部隊が有岡城と面した最前線に布陣したのです。
私は確信しておりました。

到着して疲労が極に達しているであろう、その今夜、
しかも雨のそぼ降る中でこそ、常々遺恨に思っている村重が襲ってくると。

夕刻、有岡に数年前から潜入させておきました工作員から、

村重、自ら小勢を率いて、襲撃をかけてくるとの知らせ有り。

すぐに鉄砲隊の火縄には革を巻かせて雨に備え、民家に忍ばせておきました。

夜半、雨の泥濘な中を、先ず村重の別働隊が牽制の攻撃をかけ、

すぐに退却して行きました。
私はこれを囮と見抜き、数十人の雑兵の両手に各々数本の松明を持たせ、

さも細川隊が追撃に移るように、見せかけたのでした。

程なく、本陣の前の壕から人の気配がしてまいりました。村重の本隊です。
声も無く忍んでまいります。
十分に引き付けた後、一斉に撃たせまくったのでした。

村重の一隊は、算を乱して退却に移ったのですが、

足元の泥にすくわれ容易に逃げ出せずにおります。
百数十名の武者を討ち取りましたが、当方の損害は皆無でございました。

着陣し、疲れきったその日こそが、まさに勝負でございます。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 当代一流の文化人、細川藤孝

 

 

 

ごきげんよう!