ある頃、京都では寺の堂前での競射が流行し、
藩の子弟は私的に上京して競射を試み、
通し矢をした者は堂前の帳面に記帳してそれを名誉とした。
高虎はそのような風潮を聞いて、藤堂勘解由・藤堂主殿に命じた。
「今後、子弟の堂前での競射を禁じよ!
弱い弓と軽い矢でどれほど射たとしても、
具足の裏まで突き通せるものではない!
親や兄にねだり旅費を費やしてまでして、
このような何の役にも立たないもののために、京に出る必要はない!
ゆらゆら矢が的に当たっても、ただ見苦しいまでである!」
こう言って高虎は、力量のある者に強い弓を引く事を稽古させるよう命じ、
虚しい名声を挙げる事を求めようとして堂前で競射をする事を禁止とした。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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