藤堂和泉守(高虎)一代の事を書いた巻物を、大献院様(徳川家光)の御前で、
誰に読ませなさるべきかとのことになった時、
酒井讃州(忠勝)は、
「ここに道春(林羅山)がおります。」
との事だったが、
和泉守は、
「私めの一代の大事のことを書いた物ですから、道春などは如何なものでしょうか。
始終を存じている者に、読ませたく存じます。
私の家来の八十島助左衛門を召し連れておりますが、如何でしょうか?」
とのことであった。
そこで阿部豊州(忠秋)が挨拶して、八十島を御前へ召し出し、
巻物を読ませなさったのであった。
この八十島は石田治部少輔(三成)の右筆だった。
太閤逝去のことを石田方から、
源君(徳川家康)へ申し上げた時、そのために遣わした者である。
後に和泉守の家来となり、法体の後に道壽と願い申した。
その子もまた助左衛門と称した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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