武勇の心得は、これ以外に無い☆ | げむおた街道をゆく

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寛永の初年、藤堂高虎は、いささか老衰を感じ、

国務を世子大通公(高次)に託した時のことである。

高虎は立花飛騨守(宗茂)兄弟、佐久間備前守(安政)兄弟、丹羽五郎左衛門(長重)、

脇坂淡路守(安治)、朽木卜斎(元綱)等を招待し、

その席で家の系図、知行の朱印、水牛の兜、金の傘の馬印などを、
取り出して高次に譲渡し、先祖代々、一門末々までの武功の次第を語り聞かせ、

最後に言葉を改めて、このように言った。

「大学(高次)は惣領筋であるから、武勇が私に劣るとは思わない。

しかし現在は静謐の世の中であるので、

そなたは合戦を実地に経験する機会はなかった。

それに付いて申すが、武勇には、稽古という言葉は無い。

ただ、心がけ一つが重要である。

一朝有事の場合に、

『この度は第一の殊勲を』

と考えただけでは、人並みの働きも出来ない。
『今度は一番に討ち死にするのだ。』

と決心してかかってこそ、いささか人に優れた働きは、成るものである。

武勇の心得は、これ以外に無い。」

これを聞いた列席の客人たちは、思わず姿勢を正して傾聴し、

深くその言葉に感服したという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 下天を謀る・異聞、藤堂高虎

 

 

 

ごきげんよう!