藤堂高虎の推薦もあって、会津四十万石の守護となった加藤嘉明は、
高虎の屋敷に出向いて礼を述べた。
「年来の不和でありながら、恨みを捨てての推薦、光栄に過ぎまする。
貴殿の厚い恩には感謝の言葉もない。
旧怨を捨て、これよりは末永く交わって頂きたい。」
高虎は応えて、
「推薦は公事、不和は私事である。
貴殿の知恵と勇気を将軍へ申し述べたまでじゃ。
さすが将軍の見極めは、喜びに耐えぬ。
これよりの親しい交わりはもとより願うところ。」
と言った。
嘉明は饒舌であった。
「かくなるうえは、お望みがあれば何でもそれがしにお申しくだされ。
決してお言葉には背くまいぞ。」
さて、嘉明の庶子に伊予松山の山林を支配する甚右衛門という男がいた。
藤堂家と加藤家が四国で隣り合っていた頃である。
甚右衛門は生来の酒好きで、隣藩藤堂家の美酒の醸造に優れた士と懇意にしていた。
ある時、藤堂藩では今治城の普請のため、材木、杉皮等が多量に必要となった。
これが甚右衛門の尽力により、安く買い入れられたのであるが、
それを知った嘉明は激怒した。
「不仲の藤堂家に良材を送るとはけしからん。討ち取ってまいれ!」
甚右衛門は藤堂領に逃げ込んだ。
高虎は、
「窮鳥が懐に入れば猟夫も殺さず。甚右衛門を捕らえさせてはならぬ。」
と、彼をかくまった。
甚右衛門をいっこうに捕らえられない嘉明は、高虎をますます恨んでいた。
「甚右衛門を許してやって欲しい。」
高虎は、嘉明の言葉を聞いてそう申し出た。
「無理。それだけは、応じがたい。」
嘉明は、きっぱりと断る。
「ならば、これよりの親睦もまた応じがたい。」
高虎が言うので、
嘉明もついにこれを譲り、甚右衛門を藤堂家に預け置くこととした。
「・・・・っただし、武士としては取り立てないよう願いたい。」
甚右衛門は、武士の籍にこそ入らなかったが、藤堂家の扶持を受け、
一時は代官職も任されたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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