二代将軍秀忠のころ。
秀忠に従って上洛した藤堂高虎は、
月代を剃ろうにも、あいにくその心得のある者を同行していなかった。
そこで、「一銭剃り」なる町の髪結い職を招いたところ、
これがまた、はるかに上手で心地良かった。
高虎が、
「なかなかの腕前。十三石で召抱えよう。」
と言うほどであった。
ところがこの髪結い職、
「仰せはありがたいのですが・・。
うちには妻子と老いた母がおりまして、十三石ではとてもとても。
十五石五人扶持なら御奉公いたしますが?」
と言う。
高虎はこれを聞いて、
「十五石五人扶持といえば、平侍一人の禄と同じ。
それを剃工一人に与えるなどとんでもない。
この話、なかったことに。」
と言った。
同じ日。
高虎は家臣から、福島浪人・久留島彦左衛門が、会阪街でわび住まいしていることを聞く。
「これは捨て置けぬ。一万石で召抱えよう。」
と、さっそく使いを出した。
ところが、この久留島、
「仰せはありがたいのですが・・。
旧主、福島左衛門太夫が、和泉殿と不仲であるのは周知の事実。
扶持米欲しさに元の主人の仇に仕えるなど、できませぬ。
よろしくお断り申し上げる。」
と言う。
高虎はこれを聞いて、
「さすがは豪傑!よくぞ申した。さても惜しいことよ。」
と言ったという。
ほどなくして、久留島は紀伊国に召抱えられることになった。
俸禄は1万石。
久留島は、
「これはまったく人を見定める力の賜物である。」
と、書状をもって、高虎に謝意を表したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!