能と高虎☆ | げむおた街道をゆく

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大坂夏の陣から数ヶ月経た頃。

藤堂高虎に徳川家康が何気に尋ねた。
「あれは何と申したか、能の名手で、聚楽第でも見事に舞っておった、
しかもなかなかの槍の使い手で・・」
 

「喜多七太夫、でございまするか。」
 

「そう、そう、七太夫!あの者は、どうしておるかのう。」

なおもチラ見しながら家康が聞くと、高虎はやにわに平伏して言った。

「じっ、実は、七太夫は九州におりまする。どうかお許しを!」
秀吉の死後も、その恩顧を忘れず、大坂の陣にも大坂城にて戦った喜多七太夫は、
いよいよ落城という時、旧知の高虎のもとに逃げ込んだ。
「武士とはいえ、もとは能役者、斬るにあたわず。なんとか逃げる手筈を・・。」
そこで、黒田長政あての添え状を持たせて九州へ逃した、と言う。

「おおかた、そのようなことであろうと思うておったわ。
能役者としてお前が後見するが良い。」

家康の許しを得て、喜多七太夫は京に戻り「喜多流」を起こす。
能楽五流の一つとなった「喜多流」は、藤堂家らの恩顧を受けて栄えたという。

高虎は常に言い続けてきたのだ。
「人を斬るばかりが武士ではない、人を生かすもまた武士なり。」

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 下天を謀る・異聞、藤堂高虎

 

 

 

ごきげんよう!