関ヶ原で敗れ、浪人していた渡辺勘兵衛だが、
高名な武将を望む藤堂高虎は2万石で彼を召抱えた。
そして月日は流れ、大坂の陣勃発。
高虎の考えからすれば、
勘兵衛大活躍で藤堂の武名が上がり、付け加えて勘兵衛を登用した自分の評価も上がる、
くらいは計算していたかもしれないが、その思惑は見事に外れることになる。
まず最初の躓きは、冬の陣での1コマ。
この時、藤堂勢は住吉に陣取っていたのだが、そこに豊臣方の紀州新宮の浪人勢が現れた。
ところがこの時、藤堂勢は新宮衆を浅野家中と勘違いしてしまい、
取り逃がすと言う失態をしてしまう。
当然、高虎激怒。浅野勢と報告した渡辺掃部が、
「臆病意見を言ったからだ。」
となじり、それを諌めた勘兵衛にも悪態をつく始末。
次の躓きが、冬の陣終了後の堀の埋め立ての時。
この時、どんな理由かは知らないが、藤堂家の侍大将である菅平右衛門が、
高虎を立腹させ、おまけに返答が悪かったことから、
平右衛門のことを「腰抜」と罵る事件があった。
これに平右衛門激怒して、
「一体いつ俺の腰が抜けたよ。」
と言い返したところ、
はずみで脇差が鞘ごと前に抜けかけてしまった。
平右衛門がこれを差し戻したら、高虎、
「主の前で脇差に手をかけるとは何事か。」
と、なんと切腹を命じてしまう。
「流石にやりすぎだろうが。」
と、勘兵衛も取り成しをするのだが、
高虎やっぱり聞く耳持たずで、「慮外者を贔屓にするのか。」と言う始末。
これには藤堂家の家中もしらけきって退転者続出。
勘兵衛も馬鹿らしくなって退転しようとしたが、
これは高虎が勘兵衛に会わずに出来ずじまい。
そして運命の夏の陣。高虎は勘兵衛に先陣を命じるが、
「既に先陣他の奴に決まっているのに何で今更変えるんだ。先陣の面目潰すだろうが。」
と呆れる事しきり。
おまけに勘兵衛が、
「備えをきちんとして、堂々と戦えばよい。」
と言うのに、
冬の陣で手柄がなく焦ったのか、高虎は五月雨式に攻め込むこと下命。
これにより藤堂家の名のある武者71名も討ち死にする有様となった。
これらのことでとうとう愛想尽かしたか、夏の陣終了後勘兵衛あっさり退転。
人使いの上手い高虎にしてみれば、全く目論みはずれだったお話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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