大阪冬の陣でのこと。
士寄(攻城用陣地)の構築や、合戦における諸事の手立てについて、
藤堂高虎は巧者であるため見習うように、との徳川家康からの上意で、
家康の息子である尾張徳川義直、紀伊徳川頼宣、水戸徳川頼房の、
3人が同道して、藤堂高虎の士寄場を見学した。
この頃、藤堂高虎は、ためし兜にためし具足(仮の武装ということだろうか?)を付けて、
毎日昼夜を問わず、銃弾避けの竹束の下に出て、
士寄の工事に関わる全てのことを現場で下知していた。
この事に工事をしている下々も、
「もうお年も寄られているというのに(当時58歳)、本当にご苦労なされることだ。」
と、感じ入ったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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