調略を討ち果たす☆ | げむおた街道をゆく

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大阪冬の陣の折、幕府の軍勢が大阪城を包囲している最中、

幕府方によって捕縛された、
吉河瀬兵衛と言う者が、豊臣秀頼から藤堂高虎への書状を持参していた。

それはすぐに徳川家康の元へ届けられたが、その書状にはこのように書いてあった。
『最前より約束のごとく、東(幕府方)人数引き出し候事、秀頼公御感に思し召し候。
いよいよ、後ろぎり(裏切り)の手立て肝要に候。

御褒美の儀は、望み次第たるべきとおおせ遊ばせ候。』

これを読んだ家康は言った。

「良き臣下を討ち果たさせるための、昔からこういった調略は、

大唐にも日本にもあった。
和泉(高虎)の心は、昔からよく知っている。

別心などあるわけがない。ただ一筋に、我らのためを考えてくれている。
従ってこれは、討ち果たすべき調略である。」

そう考え、
「かの瀬兵衛を和泉に引き渡しこう言え、彼の十本の指をすべて切り、

額に秀頼と書いた焼印を当てて、城中に追い返すように、と。」

吉河瀬兵衛を引き渡された高虎は、家康に言われたとおりにせよと命じ、

瀬兵衛は大野主馬の持ち口であるせんばの門前へ送り遣わされた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 下天を謀る・異聞、藤堂高虎

 

 

 

ごきげんよう!