家康公も秀忠様も、お互いが直接おっしゃればよいことまで、
このわしを間にたてて、お伝え申される。
ある時も家康公がおっしゃられた。
「武士は武勇を第一とするとは言え、それも過ぎると臆病より劣ることがある。
武田勝頼が、いま少し自重し慎重に事を構えていたら、
長篠にて容易に滅びなかったであろう。
さてまた、天下を治める道は情け深いことに及ぶものはない。
しかし、それも過ぎると酷いというより悪となる。
武家のたしなみもなく、人馬を蓄えず、
女色におぼれ、勝手気ままな振る舞いをする者を、
上に立つ身だからと大目にみていると下の者までそれに習うだろう。
これは大いなる罪である。
こういった者を厳罰に処することで、
旗本の士気も上がり武家繁栄の元となると思うが、和泉よ、いかがか?」
とな。
「仰せは誠にごもっとも。」
とお答えすると、
「では、秀忠にも伝えてまいれ。」
とおっしゃる。
で、わしは秀忠様のところに参るわな。秀忠様は、
「さすがは父上!さても金言なり。」
と申されて、自ら筆を取りそれを書き写された。
で、またわしは家康公のところに参るわな。
秀忠様のご様子をお伝えすると、家康公は
「さすがは秀忠!
秀忠ともあろう者がこのようなこと、知らぬはずもあるまいに。
孝行心が深いのでわざわざ書き写したのであろう。
その心遣い、感に耐えぬわ!」
と、こうだ。
ま、このようなことは一度や二度ではないがの。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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