主君替え、六人目☆ | げむおた街道をゆく

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思えば不遇な子であった。
 

太閤秀吉から豊臣秀長の養嗣子に秀保をと薦められたとき、
秀長には先に養子仙丸がおり、慈しんで育てていたという。
仙丸は藤堂高虎に貰い受けられることになったが、
秀保が秀長を父と呼んだのは三年に満たなかった。

凶暴にして残忍な秀保は、大和十津川で不慮の死を遂げる。
短い記録に詳細はつまびらかでないが、まことしやかにその死に様が伝わっている。

ある時、静養と遊山をかねて吉野に出かけた秀保は、面白い余興を考えた。
五十丈の岩の上から深淵へ飛び、また戻って来られたら褒美をとらせるという。
これはと思う者を連れてきては次々と飛ばせたが、誰一人戻らない。
ある者が進み出て、
「殿、岩の真上よりそれがしが飛ぶのをご覧ください。」

と秀保を誘い出し、
言うが早いか、秀保を抱きかかえると二人して深淵へと飛び込んだのだ。

「俺がおそばにおったなら!」
悲報を聞き、高虎は嘆き、悔やんだ。

秀保が死んだあと、秀吉の処置は迅速だった。
跡継ぎがいない大和豊臣家は領土没収のうえ、取り潰しとなったのだ。

「ここと思う家があれば、せいぜい口添えいたす。申し出よ。
わしは武士をやめる。」
 

高野山に入る決意をした高虎は家臣に告げた。
しかし、家臣たちは誰一人動かなかった。
高虎の心変わりを信じ、固唾を呑んでその動向を見守った。

しびれを切らしたのは、秀吉であった。
「直臣にするというのに、いつまで高虎は拗ねておるのか!」
高野山への二度目の使いに、生駒親正をおくったのだった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 下天を謀る・異聞、藤堂高虎

 

 

 

ごきげんよう!