茶筅髪に羽織といういでたちで、大木長右衛門、居相孫作らわずかな家臣と共に、
高野山にて念仏三昧の日々を送っていた藤堂高虎のもとに、
生駒親正は老体をおして、太閤秀吉の命を高虎に伝えに来た。
ひとしきり秀吉の思いを伝えると、足を崩す。
「どうあっても否と申すか。」
「ありがたきおおせなれど、どうかお察しくだされ。」
「秀長殿なら、兄上をお助けしたいと思うであろうに。」
高虎は天を仰いだ。
高虎は下山し、秀吉の直臣となった。
高虎を待っていたのは、伊予板島七万石と、
離散せず紀伊・大和国付近に仮住まいしていた家臣たちであった。
彼らは歓喜して高虎を迎えた。
しかしここにきて、大木長右衛門、居相孫作および服部竹助は憂慮していた。
「殿は我らに千石ずつくださるとおっしゃるがの。」
「我らに、例えば十人分の働きができるかの。」
「・・・・ま、できぬこともないが、今は十人の勇士を雇うことが先決じゃの。」
彼らは、加増を断り、七万石の屋台骨を築くことに奔走したのだ。
高虎は領民をいたわり、城を作り、街を作った。
高虎は四十歳になっていた。
慶長の役では、誰とは言わぬが武功争いであわや抜刀というすったもんだもあったが、
高虎は豊臣諸将の中で、着実に地歩を固めていった。
その、慶長の役のさなかに、太閤秀吉が崩御する。
さて、日本軍帰還任務をだれに当たらせるか。
徳川家康は高虎を推挙した。
「それがしのような者には、とても務まりませぬ。」
辞退する高虎に、なおも家康は言った。
「ぜひに。」
秀長の在りし頃、家康に初めて我が名を名乗った日のことを、
高虎は思い起こしていた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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