本能寺で織田信長が明智光秀に討たれると、
甥の織田信澄は内通の疑いをかけられ殺された。
嫁が明智の娘だったからである。
さて、山崎の合戦で勝利した羽柴軍秀長のもと、
三千石を拝する藤堂与右衛門高虎を頼って、女が訪ねてきた。
「信澄殿の嫁ごだと。
信澄殿といえば、俺がどんなに頼んでも八十石しかくれなかったではないか。
いったいどのツラさげて参ったか。」
見ればわずかな供を連れ、人目を忍ぶ女がいた。
懐には二歳になる子を隠し抱いている。
「・・・・不憫じゃ。」
高虎は、母子を保護し、子を芦尾庄九郎と名乗らせた。
高虎の庇護のもと、成人した庄九郎がさすが大器の片鱗を見せ始めた頃、
徳川家の千姫が豊臣秀頼に輿入れすることになった。
庄九郎の母が明智の娘で、教養も才能もあるとして、
千姫の上臈に抜擢された。
すると、
庄九郎は母と共に秀頼のもとに行ってしまったのである。
「よりによって秀頼殿とは・・・。」
しかし、時流は容赦ない。
豊臣家は滅びた。
徳川家康の腹心として、大坂の役の戦後処理に忙殺される高虎を頼って、
男が訪ねてきた。
「庄九郎だと!?
庄九郎といえば、さあこれからという時に、
とっとと秀頼殿のところへ行ってしまったではないか。
いったいどのツラさげて参ったか。」
見れば、昔日の若武者の面影はすでになく、
投降兵の姿があるばかりだった。
「・・・・不憫じゃ。」
高虎は家康に、庄九郎の助命と家名の存続をとりなした。
庄九郎は織田昌澄と称し、
子孫は旗本として二千石を拝領するようになったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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