父親が謀反人という、ちょっとワケありの織田信澄のもとで、
与右衛門は武功を重ねていた。
丹波小山城攻めでの功により、黄金一枚を受けて良馬を買い、
続く籾井城攻めでは騎馬隊として戦い、兜首二つを獲得した。
やがて、欠員補充の穴埋め人事とはいえ、母衣隊に抜擢されることになった。
しかし禄高は依然、八十石のままだった。
母衣隊ともなれば、馬は必須のこと、
厩を整え、馬具を揃え、世話人を雇わねばならない。
良い飼料も絶やしてはなるまい。
八十石では、足が出た。
馬を肥やせば自分が飢える。
思い余って与右衛門は訴えた。
「恐れながら、このままでは存分な戦働きができません!」
「で、あるか。」
信澄はまともに取り合わなかったのである。
ここは思案のしどころだった。
他家に仕官を求めるか、このまま八十石で飼い殺されるか。
与右衛門はついに、信澄のもとを辞したのだった。
三たびの浪人暮らしである。
大望を抱くも、郷里近江周辺をぶらつき、
先輩・知り合いを訪ねては軍議と称して手柄話しを披露した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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ごきげんよう!
羽柴小一郎秀長との出会いは、もうまもなくである。