「亭主を呼べ!」
三河吉田の旅籠亭主・彦兵衛が、大声で呼ぶ客の部屋へ向かうと、
薄汚い若侍の前にたくさんの餅が広がっていた。
給仕に当った女中に聞くと、侍は好物だからと、
餅を山ほど注文したがその餅の出し方が気に入らぬと言って、
皿をひっくり返したのだと言う。
若侍、「客に出すのに、雑な山盛りにして出すとは何だ?
普通ならば、漆塗りの盆に丁寧に積み上げて、持って来るものだろう!
最初から出し直せ!」
十八から店を預かり二十年目の彦兵衛、慣れたもので皿に三つほど餅を乗せ直すと、
「それは失礼致しました。しかしこの餅の盛付けは、
三河ではお武家様のための盛付けで、
『城持ち』と『白い餅』を掛けて、山のように大きい城の城主になれるように、
との私どものせめてもの心遣いでございます。どうかお納めください。」
と言って若侍に勧めた。
「そうか、そんな謂われが・・・それは済まなんだ。では、喜んでいただこう。」
以外にも若侍はあっさり納得して、餅をガツガツと食い始めた。
その様子に長年のカンからピンと来た彦兵衛は若侍に話しかけた。
「ところでお侍さん、金が無いんでしょう?事情だけでも話してみませんかね?」
顔を青くして餅をむさぼる手を止めた若侍は、少ししてポツリポツリと語り出した。
若侍の名は、与右衛門。
近江の出だが、浅井家の滅亡で職を失い、旧浅井家臣の間を、
フラフラしていたが長続きせず、いっそ浅井家に勝った織田家か徳川家に仕官しようと、
美濃・三河まで出てきたが、うまく行かず路銀が尽きてしまった。
どうせ死ぬなら、好物を満足行くまで食って・・・と、
考えてこの旅籠に入ったのだそうな。
「お前様、近江と言えば私の生国。他人事とは思えませんよ!」
などと騒ぎを聞きつけてやって来た自分の女房まで言い出すので、仏心のわいた彦兵衛、
タダ食いを許してやった上に、
「こういう時は、思い切って一から出直すのが良いものです。
親御さんも心配しておられるでしょう。
一度、故郷に帰って親孝行されてはいかがです?」
と、助言まで与えてやった。
するとこの若侍・与右衛門、
「承知した。ついては、路銀を五分ばかりお借りしたい。必ず、出世してお返しいたす。」
などと再び調子に乗り出した。
人の良い彦兵衛もこの言葉にはあきれ果てたが、要望の倍の路銀をくれてやった。
「このご恩は必ず・・・、必ず・・・。」
女中、「これで良かったんですかねえ・・・。」
彦兵衛、「なに、こんな世の中だ。当てにしないで待てばいいのさ。」
「何だ、あいつら・・・。」
その日、三河吉田の町は凍りついた。
やって来た大名行列の侍たちが、あまりにも異様な面体の者ばかりだったからだ。
顔中、刀傷が這っている者。指が欠けた者。鉄砲の撃ち過ぎで顔半面にヤケド跡がある者。
いかなる闘争を潜り抜けたか、独眼・隻腕の者までいる。
面体も荒々しい侍たちが一斉に頭をさげると、行列の真ん中の籠から、大男が現れた。
この男も、身なりこそ絹の羽織に黄金造りの太刀と重そうな皮袋とたいそう立派だが、
顔中に傷跡が残り、右手の薬指・小指が半分しか無い。この男が大名だろうか。
大名とおぼしき大男は、まっすぐにあの彦兵衛の旅籠に向かった。
彦兵衛、「こ、こんな七十過ぎた老いぼれの店に何の御用で・・・。」
大名は金子がギッシリ入った皮袋を彦兵衛に渡すと、深々と頭を下げ、口を開いた。
「藤堂和泉守与右衛門高虎、彦兵衛殿の言葉に従い、郷里に帰って武者修行に励み、
縁あって故・大和大納言秀長公に拾われ、中国地方を東奔西走し、山崎・賤ヶ岳で戦い、
四国で命を拾い、九州を駆け抜け、大納言家の消滅後に独立して朝鮮へ渡って転戦し、
関ヶ原で大谷隊の鉄砲に指を飛ばされ、功により、伊予半国の大名となり、
恩を返すべく参勤交代の途上、吉田に立ち寄りました。遅参の段、御免なれ!」
「あ・・・あの餅好きの与右衛門さんかね!」
「いかにも。彦兵衛殿のご恩を忘れず、今日まで励んで参りました。
おお、そうだ。旗、挙げい!」
紺地に白い丸を三つ描いた旗印が高々とひるがえった。
「白丸が三つ・・・あっ、ウ、ウチの餅じゃないか!」
「さよう。彦兵衛殿に教わりし『白餅』の志を忘れぬよう、当家の旗印と致しました。」
高虎はその後も出世し、伊賀一国と伊勢八郡32万石の太守となり、寛永七年死去した。
高虎の遺命により、藤堂藩は参勤交代の際、三河吉田で宿泊するのが慣例となった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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