藤堂高虎が放浪していた頃、
一時期、その身を山科の櫻井林佐の家に寄せていたことがあった。
ある日、高虎は道の途中で無礼を働いた農民を斬ってしまい、
それを見た付近の農民たちが群集して、彼を包囲した。
流石の高虎も数百の農民を尽く斬ることも出来ず、
その場を立ち退いて櫻井家へと逃げ込んだ。
すると群衆は後を追って櫻井家を取り囲み、形成頗る険悪となった。
しかし櫻井林佐はこの地域の名望家であったので、
百方なだめすかして群衆を退散せしめ、
高虎の生命を救った。
それから、40年余りの歳月が流れた。
藤堂高虎は伊賀伊勢30万石の国持大名となり、櫻井林佐は、依然山科の土豪であった。
高虎はその旧誼を懐かしみ、
「五百石で召し抱えるから、こちらに参ってほしい。」
と伝えた。
しかしこれに、林佐は、
「ご好意は、身に余って忝なく存じます。しかし、」
と、これを断った。その上で、
「ですが、そこまで思召していただけるのなら、
今後、私の子孫が零落することが有れば、
その時にお救いして下されたい。」
そう答えた。
高虎はこれを快く承知し、
林佐の二人の子供、利右衛門、平右衛門の両名を津城も呼び寄せ面謁し、
『申出次第、何時でも扶助すべき旨』の黒印書を渡した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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