直江兼続の最愛の一子・平八景明が、
本多正信の媒酌で、近江国膳所城主・戸田氏鉄の娘と、江戸で婚儀を挙げる時。
戸田家より朱塗の膳椀に金蒔絵の道具が着いたので、直江家の役人たちが、
「これに相応する道具を準備するべきでしょうか?」
と、兼続に尋ねたところ、
兼続は、
「それはもってのほかである。
もし、対等の膳椀でなければ婚礼させられぬとあらば、早速破約する。
武士の魂である刀や槍に錆がなければ、
何の恥ずべきところがあろうか。朱塗の膳椀が何だというのか。」
と、言ったという。
兼続はこの如く倹約であったが、
社会に有益な事業には多額の私財を投じて惜しまなかった。
慶長11年には文選60巻を刊行して文化に貢献し、
その他にも論語などをも出版したとのことである。
また元和4年には禅林寺を建立して、学僧・九山を招き開祖となしたが、
これは寺子屋式に子弟を教育し、また藩学の興隆を図ったのである。
この如くして、上杉家の大元老の遺物は、武具と書籍のみであったといわれている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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