畑谷城の撫で斬り☆ | げむおた街道をゆく

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直江兼続の最上陣は、畑谷城攻めから行われた。

畑谷城は山谷の間の街道を縫い、街道は番所と柵によって隔てられ、

城の本丸のある館山を中心に、深い空堀が巡らされていた。


直江の大軍は、街道に沿って城の東側からまず力攻めを実行。
直江軍の先陣・鉄孫左衛門尉と色部式部に対し、

畑谷城では敵を近くまで寄せ付けて、弓と鉄砲を散々に撃ちかけた。

直江軍の初戦の被害も小さくなく、

兼続は畑谷城を守る江口道連に、

「城を明け渡すなら、名誉ある処遇を確約する。」

と使者を出したが、
守将の江口道連は、
「敵を目前にして城を明け渡す輩の何処に名誉があるのか。

他の国の兵ならいざ知らず、最上の兵は最期の一兵まで戦う所存である。

城が欲しくば腕で取られるが良かろう。」

と降伏を拒否した。

その夜、畑谷城にいた軽技の得意な者が直江陣に忍び込み、

兼続の番指物1本と鉄孫左衛門の陣屋の吹貫布1本を盗って戻った。
畑谷城内ではさっそくそれを大手口の高い所に掲げておいた。

夜が明けて直江の兵が畑谷城を見ると、

そこには最上軍の旗に囲まれて兼続の番指物の旗が晒されていた。

「馬鹿にしやがって。」

と直江軍の力攻めが再開された。

やがて城山の搦手の急造三重堀の北側の手薄な部分を攻め立てられ、

陽が正中を過ぎる前後に城は落ち、城内にいた者たちは悉く撫で斬りにされた。

直江軍の挙げた畑谷の城兵の首級は500余。
味方の被害は死者200余だったと伝わる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 天地人・異聞、直江兼続

 

 

 

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