堀久太郎(秀治)が、越前から越後へ入部した折り、
家老の堀監物(直政)より国中に触れ渡し、
当年の年貢を納め取ろうとした。
この時、百姓たちは言った。
「時分は既に冬になっています。
年貢の半分は既に、転封された上杉殿に納めていますので、
その分を納めることは罷りなりません。」
そこで監物方より上杉家の直江山城守(兼続)へ申し遣わし、
『納め取られた越後の当年貢半分を、こちらに返されますように。』
と伝えた。
直江は、この返答に、
「久太郎殿が越前を出られる砌に、越前の当年貢半分を納め取っておくべきでした。
会津領においても、前の地頭である蒲生秀行は、
当年貢半分を納め取った上で宇都宮へと移られた。
そのため(上杉)景勝も会津に移って、その残り半分を納めました。
越後に於いて納めた半分を、返納するいわれはない。」
そう言って堀監物の要求に肯かなかった。
しかし監物は重ねて使者を以て、
『越前の当年貢は残しておいて蔵に納め置き、公儀へと差し上げたのです。
ですので越後半分を戻されますように。』
と乞うたのだが、直江は笑って、
「越前の年貢半分を納め取らなかったのは、監物の誤りである。
左様なうつけ者の同類に、我々が成る事はない!」
そう嘲り愚弄した。
そのため、堀監物はこれを根深く遺恨に思ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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