上杉家に、西方院という真言宗の法師武者があった。
彼は数度の槍をした故に、異名を「槍坊主」といった。
上杉景勝より朱の武具を、免し給わっていた。
彼は一代四十余度の武辺をなし、遂に手傷を蒙らなかった。
景勝より六千石の知行を給わったが、
これを受けず、
「疋如(するすみ:財産も係累もない身の上であること)の身にて、
知行を取るなど、一つも必要ない。」
と言って、越後から会津に供した。
そして遂に米沢にて病死した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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