上杉景勝の家において、荻田主馬(長繁)が、武者奉行であった。
荻田が上杉家を立ち退いて以降、蓼沼日向守(友重)と、三股九兵衛が、
武者奉行となった。
何れも大剛の覚えの侍であった。
そんな彼らに対して、越前黄門(結城)秀康卿より、
様々に接触が有り、蓼沼日向守に対しても三股九兵衛に対しても、
一万五千石宛にて自分に仕えるよう御呼ばれたのであるが、
「景勝譜代の主にて候間、御免下され。」
として参らなかった。
この二人について秀康卿は、
大御所様(家康)より能く聞き召されていたのだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!