大坂冬の陣最大の激戦の一つ、鴫野の戦いを制した上杉家に対し、
後日、徳川家から感状が下された。
家康から感状を戴いた古将水原親憲、なんと家康の面前その場で感状を開いて読み、
「景勝公のみならず、陪臣の身である私にまでこんな名誉を戴けるとは、
謙信公以来の上杉の武名をあげられて嬉しいことです。」
と言った。
水原は感状の内容がもし自分を上杉家臣としてではなく、
上杉家を無視し徳川の家来扱いするような内容であれば、
その場で受け取りを拒否する腹積りであったそうな。
そして水原は退室したのちに、
「こたびの戦は子供の石合戦のようなもので、怖くも骨折りとも思わなかった。
謙信公の元で戦場を駆け回っていた頃は、
今日死ぬか明日死ぬかと思いながら必死に戦ってきたが、
一度も感状など貰えた事はなかった。
こんな花見のような合戦で、感状をいただけるとはおかしなことだ。」
と言って、大笑いしたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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