坂田采女義満と、渋江熊蔵☆ | げむおた街道をゆく

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慶長19年10月、江戸参勤のため、米沢を発った上杉景勝に、

徳川秀忠から豊臣秀頼討伐の兵を上げよとの命が届いた。


景勝は、とりあえず江戸の手勢を率いて上洛すると、
米沢の直江に命じて本国の兵を整えさせて西上させた。
その数騎馬350騎、雑兵は約9000ほど。

そんな上杉の兵の中に、坂田采女義満と、渋江熊蔵という二人の信濃侍の姿があった。
いずれも出身は信濃の高井郡須坂の同郷仲間である。

二人は冬の陣で、有数の激戦地鴨野表の戦いに参加した。
そして坂田采女が敵将穴沢盛秀(秀頼の槍術の師)を討ち取る手柄を上げた。
ところが渋江の方は、うまいこと敵に遭遇することが出来ず、
手柄を得ることが出来なかった。

実は以前から、上司である直江に叱責を受けていた渋江は、
この戦で手柄をあげ汚名を晴らすことに賭けていたのだ。
がっかりとしている渋江を見た坂田采女は、
自分が挙げた穴沢の首をこっそりと渋江に手渡した。

「ひとまずは、この首で汚名を晴らし、またいずれ本物の手柄を立てれば良いではないか。」

一旦はそんな坂田の申し出を受け、喜んでその首を受け取ったものの、
渋江の心は晴れなかった。
坂田の心遣いはありがたかったが、しかしこれは本当の手柄ではないのだ。

結局渋江は、実検の際に、この首を討ち取ったのは、
坂田采女であるということを正直に言ってしまった。
だから恩賞は、どうか坂田にくれてやって欲しいと申し出たのである。

この話を聞いた秀忠は、渋江の実直さと坂田の心意気を誉め称え、
両名に恩賞を渡したということだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 不識庵以来の軍法、上杉景勝

 

 

 

ごきげんよう!