首奪い☆ | げむおた街道をゆく

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小田原の役、上州宮崎砦の戦いの時の事。

上杉景勝勢のうち藤田能登守(信吉)、甘糟備後守(景継)らの軍勢は、

北条方の宮崎砦を乗り崩し、敵勢を追撃した。

藤田信吉の組の夏目舎人助は組子を呼び寄せ真っ先に進むと、

宮崎坂口にて敵を追い詰めた。
 

その敵の中に、茜の羽織を着け、味方に下知して殿をする武者があった。

舎人はそこに乗り付け、
互いに馬上にて名乗りかけ、鑓を組んで突き落とし、

組子の澤田作左衛門に、

「首を取れ!」

と申すと、作左衛門も上に乗り掛かって首を擦り落とした。

 

とこそがその時、甘糟備後守の手明(予備兵)の者である湯浅七右衛門が奔り来て、

作左衛門を押し倒し、その首を取って逃げた。

 

そこに舎人助が乘り付け、
湯浅の差物の絹を少し切り落とし、それを取り置いた。

湯浅七右衛門が奪い首をしたことについて、

合戦後夏目舎人助は自分の組の澤田作左衛門を召して、
甘糟備後守の所へ行き、申し上げた。

「御内の衆が奪い首を致されましたので、その首を返して頂きたく、

急度仰せ付けられますように。」

備後守はこれに、
「我らの内に、そのような比興者が有るはずがない。

しかしながら調べよう。

その方にそれについての証拠は有るか。」

舎人は澤田を呼び出し、

「この者が取った首を、御内の者、彼は白地に黒二引の差物をしていましたが、
後から来て澤田を押し倒し首を奪いました。

その証拠はここにありますので、その差物に名札をつけてここに出して下さい。」
そう申して差物を取り寄せると、彼の差物は切り裂かれており、

そこに舎人の持ってきた切れを当てるとピタリと一致し、紛れもない事が解った、

これに備後は殊の外立腹し、

「このような臆病者を召し使ったのは私の不吟味である。

それをそのまま置いては、諸人に悪事を教えるようなものだ!」

と。

かの者を召し出し手打ちにすると申されるとこを、舎人は制して、

「先ず我が方の大将である藤田と御相談なさってください。他の備えの為でもあります。」」と、奪われた首を持って帰り、
高名帳に付けた上で、藤田にこの事を申し伝えると、藤田はすぐに甘糟を招き、

二人伴って御本陣へ参り上杉景勝公に言上した。

これについて景勝公はこう仰せに成った。
 

「武士であっても武道を知らない者は下人である。

武士は本心の臓より思案工夫して分別する者である。
故に、科があれば切腹をする。

下人は首元で思案する故に締まり無く、落ち着いた分別も無い。

これ故に科あれば首を斬る。

女人は鼻先ばかりの智である故に、科があれば鼻切る事、古来よりの掟である。

その者は下人同然の臆病を働いた。

諸人への見せしめの為にも、縄を付け陣中を引き廻し、首を斬り獄門に懸け、

札を添えて首を晒し置くように。」

と仰せ出されたために、斯くの如く仕った。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 不識庵以来の軍法、上杉景勝

 

 

 

ごきげんよう!