御簾中を御上らせられた☆ | げむおた街道をゆく

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天正十七年、上杉景勝公の御簾中(武田信玄公の息女、勝頼公の妹)に、

平坂対馬守を尾輿添に仰せ付けられ、上方へ御上らせなされた。

 

これは景勝公が宿老たちとの密談によって斯くの如くなったのである。

 

景勝公はこのように仰せになった。

「来年太閤(秀吉、この時期は未だ関白)は小田原への発向について、

我らと前田筑前守(利家)と合流して、関東筋へ相働くべしと定められた。
秀吉について、彼は古今類なき果報明発の人である。

匹夫より登場して、天下を一統した。

であるが私に対しての和睦は工夫才智を以て、私への疎意が無いようにしたのは、

私が名将である謙信公の跡を継ぎ、北条三郎(上杉景虎)を討亡して越後を治め、

信州に発向しては小勢を以て北条氏直を追い払い、

川中島四郡、その他佐久、小縣にも手をかけ切り治め、或いは会津領の所々を切りしぎ、

佐渡一国恙無く平均し、去冬は羽州庄内三郡を治めた。
殊更天正十年、信長家の者共に対して上杉家の弓矢の手柄、

その後、越中宮崎にての様子は、木村(吉清)が見て帰り、

それらの事によって私のことを、秀吉も手浅く見られないのだ。

であれば、私の心が振れないようにと存じられ、

人質を乞おうとされないのは流石名将である。
しかし内心には、私の事を気遣いに思っているのだろう。

殊に関東への陣触れについては、猶以て心許なく、

人質を乞いたいと思っては居るのだろうが、そのようでは誠の道をすり抜けてしまうと、

私に蔑まれては却って悪しくなるとして、その事を申し越されず、
正道を嗜む所を知らせ、いよいよ私には心安く思わせよう、という底意であると察する。

しかし一度和睦を結んだ以上は、私からは未来尽くすまで、心を変ずるべきではない。
武士は大小上下、共に心を変じない事を本意とするものだ。

そういった所を考え知りながら、
秀吉に疑われるのは甲斐のないことだ。」

そうして家老たちと御密談を以て、御簾中を御上らせられた。
太閤はこの人質の請取を堅く御辞退されたが、景勝公のこのような思し召しにより、

受け入れられたのである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 不識庵以来の軍法、上杉景勝

 

 

 

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