ある時、豊臣秀吉が伏見城(または大阪城)にて、大名たちを呼んで宴を開いた。
そこに前田慶次が、呼ばれてもいないのに勝手に紛れ込んだ。
宴もたけなわになった頃、慶次は猿の面を被り手ぬぐいで頬被りをし、
踊りながら大名たちの膝の上に次々と腰かけ、猿真似をして面白おかしく振舞った。
宴の席なので誰も怒るものはいなかったが、
景勝の前へ来ると慶次は景勝を華麗にスルー。
次の人の膝の上に腰掛けた。
景勝の威風凛然とした態度を前にして、
どうしてもその膝に乗ることができなかったらしい。
その後、歌舞伎者として名の知れていた慶次はたびたび仕官話が持ち上がっていたが、
それらをことごとく断り、直江兼続を通じて景勝に仕官する。
慶次は後に、
「天下広しといえども、真に我が主と頼むは会津の景勝をおいて外にあるまい。」
と語ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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