ある時、黒田長政が江戸より帰国して、
家老や近習の士を多く呼び集め、このように言った。
「江戸において観世太夫に謡を習ってきた。
観世太夫は、私の謡がとても良いと殊更褒めてくれた。
そこで、お前たちに歌って聞かせたいと思う。」
と、柏崎の一節を歌った。
家老やその他の士はこれを聞くと皆、音曲の面白きことを褒め称えた。
ところが、毛利但馬だけは少しも褒めず、どころか頻りと落涙していた。
長政はこれを怪しんで、
「但馬はどうして泣いているのか。」
と聞いた。
但馬はこれに、
「鉢を開く(托鉢をすること。転じて乞食をすること)事になる悲しさに、
泣いているのです。」
と答えた。
長政は、
「それはどういうことか?」
と尋ねると、
「私が泣いたのは、殿の謡に感動したわけでは断じてありません!
よくよく聞いてみてください。
殿の謡は節、拍子も間違っており、さらに面白くもなんともありません!
観世太夫が褒めたというのは、殿は大名でありますから、
御意に入ろうとするためか、又は当座の挨拶として褒めたのです。
それをまことの事だと思うべきではありません!
それなのに、この御列座の者共は、当家にては歴々の臣下であり、
善悪共に正直に物を言い、殿を諌めるべき者共であるのに、
今、天下が無事となり面々の身の上も良くなって、保身ばかり考え、
武勇も忠節も忘れ、へつらいばかりを申している!
このように君は昏く、臣下のへつらいを好み、
臣下は君にへつらって忠を忘れ、腰が抜け、御用に立たなくなってしまった以上、
御家は滅亡し、私も浪人となり鉢を開いて生きていくことに成るでしょう。
その悲しさに泣いたのです!」
長政はこれを着いてたちまち興の冷めた顔となり、奥に行ってしまった。
列座の家老たちは、
「但馬は軽はずみなことを言ってしまった。」
と、彼を叱りつけた。
しばらくして長政が、奥より脇差しを一腰持って出てきた。
これを見た一同は、
『長政様は怒って但馬を斬るために脇差しを持ちだしたのだ!』
と恐怖した。
ところが、長政は但馬の傍に座ると、感涙を流し、
「汝が只今の諫言、私のためにおいて甚だ忠節であると思った。
父・如水公が蘇って仰られたとしても、
これ以上の諫言はなかったであろう。
感悦の至である。
それにより、この脇差しを褒美として与える。」
と言ったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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