細川忠興が、京から、腕利きの左官をつれて領国に下った。
この左官、忠興のお声がかりなのをいい事に、酷く傲慢で、
家臣らの評判はすこぶる悪かった。
しかし、実際はきちんとした名字も無い身分。
普請の棟梁として、えらそうにふんぞり返っている自分が、
裏でその事を馬鹿にされているかと考えると、
いても立ってもいられない。
そこでこの左官、忠興に、
「武士のような名字を付けてくださいませ。名前も付け替えていただきたい。」
と、頼み込んだ。
殿様直々に頂いた名乗りであれば、家中のものも馬鹿にする事は無いだろう。
そう計算しての事。
最初断った忠興だが、あまりにしつこいので、
「では、こう名乗れ、すさ藁の朝臣鏝次 下地壁右衛門。
(すさわらのあそんこてつぐ したじへいえもん)」
忠興も人が悪い。
この左官の目論見を知っていて、からかったわけですな。
この左官、二度と忠興の前で、名前の件を言わなくなったとか。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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